俺と新聞配達

フジイミツグ

2013年08月19日 04:17

薄れゆく過去を忘れないために書き記していこう。

中学生のころ、新聞配達をやっていた。
家のためとかそういうのじゃなく単純にお金が欲しかっただけ。
始めたのは中学一年生の夏からかな。
貴重な青春時代にもったいないよなぁ。

いまでも覚えてるわ。大手筋の筋はいったところの毎日新聞の朝刊でした。
70部ほど配ってたんやけど、回されたところが桃山の高級住宅地が並ぶ山手だったのです。
自転車であの山を登るのはめちゃめちゃ大変でおかげで太ももが競輪選手のようになりました。

初めてのお給料はいまでも覚えてるわ。
「フジイ君には幾らあげよかなぁ」で7千円でした。
中学一年生で7千円は大金だよなぁ。

それから京都新聞に変わったり夕刊配ったりで、いつも誰か友達についてきてもらって
一緒に配ってたw
古~い団地とかね。上まで登るのがめちゃめちゃ怖いんです。
「お前いってきてくれやぁ~」みたいなw
新聞配達でなにが辛いといって雨の日の配達は辛いねぇ。合羽着てくばるんやけど
どうしても濡れるんよな。あれは辛かった。

あぁ、途中に伏見青少年活動センターの休憩所でインスタントラーメンを200円で作ってくれて
あれが至福だったねぇ。寒い日には井村屋の豚まんが至福やった。
まだコンニニもなかったもんな。

と、こんな感じで中学時代は新聞配達やっていたのでクラブ活動一切なしの帰宅部でした。
あぁ、アルバイトは中学では禁止だったんだけど、まぁ、家の事情で許してもらえてました。
バイトのお金は何につかっていたのかなぁ??家にはいれてなかったはずだけど、修学旅行は自分で払いました。

こんな感じの中学時代でした。って誰が興味あるねんww


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