2013年12月28日

俺と三日月ハゲ

小学校三年生の時にね。カブスカウトの帰りしに交通事故に遭ったんです。
竹田街道の大橋病院の横のいま信号機のついてるところです。
(当時は信号機なかった。)
夜の9時ころ、3人で歩いていてね。全員轢かれたみたい。みたいというのは本当にその時の状況を覚えてないのよ。
30mくらい飛ばされたらしい。そしてひとり亡くなってね。
轢いたい人は25歳くらいの工場で勤めている釘師サブやんにそっくりなお兄ちゃんでした。
一ヶ月くらい意識不明で起きたらぜんぜん知らん兄ちゃんが毎日立ってるだけやねんな。
自分がなんでここにいうのかもわからなかったし。
あとで聞いたら、轢いた人やったということやったんやけど、人生ゲーム買ってきてくれたり一緒に遊んで
気前のええいい兄ちゃんやったよ。
まぁ、あの神妙な顔みてたら反省したはったんやろなぁ。その後も家族ぐるみでお付き合いありましたよ。
お兄ちゃんが欲しかったしね。あ、ボクは一人っ子なんです。

この交通事故、新聞にも載ったし後に信号機がつけられるようになりました。現駿河屋本店のある場所です。

んで、だね。3ヶ月の入院で退院して小学校に復帰したわけだけど、この事故で後頭部に大きなキズができてね。
見事な三日月ハゲがね。
そして何故かわからないけど、ずぅっと五分刈りだったんです。
これがねぇ・・・・
学校に復帰して「ハゲハゲ~三日月ハゲ~」ってめちゃめちゃからかわれた。
何故か意地でも坊主頭にしてたんよな。

これが今考えればすごかった。小学校4年生くらいから中学2年生くらいまでからかわれ続けたねぇ。
なので中学一年二年の頃って毎日、毎日、喧嘩にあけくれていました。
いやぁ、感心したのは、よう毎日これだけ殴られても飽きもせずからかい続けるなぁってことやったねw
それでいて、普段は一緒に遊んでるんやな。なんやったんや。
まぁ、しかし、あそこで喧嘩していなかったら”いじめの対象”になってたな。うん
そんな感じの中学時代を送っておりました。






  

Posted by フジイミツグ at 03:22Comments(0)俺の○○

2013年08月25日

俺と実家

薄れゆく過去を忘れないために書き記していこう。

家の話ね。これもすごいw いまとなっては笑い話だけど。
生まれたのは京都の伏見の中書島、下中町
なんか古い家やったよ。
と言うか、オヤジが大工さんでね。まぁ気難しい人でしたわ。
大工の安普請って諺あるでしょう。自分の家は直さないっていうやつ。
まさにあれで、そうだねぇ。北朝鮮の貧民街?の家みたいな感じを思い浮かべてくれれば一番イメージ湧くと思うw
まさに「あばら家」って言う感じ。
いちおう、雨露はしのげます。築100年?のあばら家、バラック住まいという感じ?w
作りは入口にトタン屋根の炊事場があって、なかに長く5畳、4畳半、8畳、庭、という感じの典型的なうなぎの寝床。
わりと広かったと思う。
しかも賃貸ww 家賃が300円(マジです!!)
300円って!!w なんで覚えているかと言うと路地奥まった3軒長屋やったんだけど
大家さんが月千円に値上げすると言ったら隣のおばちゃんが猛反対して覚えてた。
いまから40年くらい前の話ね。

まぁ、子供心に恥ずかしかったしなぁ。だからほんとうに仲の良い友達しか呼ばなかった。
当時、団地が流行っていてね。団地に住んでいる友達がうらやましくて仕方なかった。
ボクは奥の部屋で寝ていたんだけど、夜寝ると星が見えるんですw  
屋根が崩れて瓦がずれてその隙間から星が見えるんです。よくあれ屋根落ちてこなかったなぁ。たわんでたんやけどw
雨が降るともう雨漏りというレベルじゃなく、降ってるんですw。洗面器置いても間に合わないので行水用の大きなお風呂を置いて
雨貯めてました。

これ文章にするとすごい家やなぁw
そんでね。学校から帰ってきて家のドアあけたらいっつもどこかから入ってきた猫と目があうんですw
お膳があってなにか食べ物探しにきてたんだろうねぇ。

中学の時に好きな女の子がいてね。ある日、「昨日フジイ君の家に友達と行った」って言うんです。
しかも家の中まで入ったらしい(鍵かけてないんで)
「友達が怖い、怖いって言うてた」って・・・・・そりゃ怖いわなぁ。あそこに中学生の女の子がきたら。
あ、あれは恥ずかしかった・・・・み・見られた。みたいな??

庭に小さな池をつくったんです。
穴掘ってコンクリートで固めてね。そうしたら父親がそのとなりにもっと大きな池を作ってくれて流石大工さんやなぁって
ある日、メダカを知らないうちにいれてくれててね。
あれがいまでも思い出すオヤジの思い出。

そんな感じの実家住まいでした。
17歳で一家離散で飛び出すまで住んでいました。
と、伏線を残しつつw

  

Posted by フジイミツグ at 03:09Comments(0)俺の○○

2013年08月20日

俺とちんちんはさんだ事件


薄れゆく過去を忘れないために書き記していこう。

いきなり不謹慎で申し訳ない。しかもなんか痛そう・・・・・
そう、あれは忘れもしない僕が小学4年生の暑い夏の日だったと思う。その日、友人Aとその妹と京都伏見にある桃山に遊びに行った帰りの事、乃木神社[*1]に掛かる、人々からは”心臓破りの坂”と呼ばれる?

(乃木神社の坂)
坂の頂上で尿意を催した僕は所謂、立ちションをしたのです。友人と妹はさっさと行ってしまうので大急ぎで用を済ませて、チャックをあげた刹那、局部になにか激痛を感じ、あそこをみるとなんと、なんと、
アレをチャックに挟んでいるではないですか!チャックを降ろそうとしても皮(笑) が ガッチリとチャックに絡まっていてうんともすんとも動かない......

中腰にうずくまりながら友達に助けを呼ぶも、友人もどうする事もできず、取り敢えず、家まで帰ろうと 時速0.1km でそろそろと内股で歩き出しました。しかぁし、ここは”心臓破りの坂”しかも下り道、
「いたい、いたぁい」と半泣きになりながら歩いたのですがたまらず、友人の家に電話をしてもらいお父さんに病院に連れていって貰う事にしました。

(痛そうな小学生のボク)
暫くしてお父さんが迎えに来てくれたのは、なんと!
荷台付きスーパーカブ(泣)、 荷台に女座りで座って揺られる姿は一生
忘れません。カブが揺れる度にあそこにひびく事、ひびく事・・・・・
病院で、麻酔を局部に打って貰いやっとの事で解放された僕のあれは
3倍程に膨れ上がっていました。
(98/09/01)

このお話はmixiからの人は何回かみてるかと思いますが。  


Posted by フジイミツグ at 04:30Comments(0)俺の○○

2013年08月19日

俺と新聞配達

薄れゆく過去を忘れないために書き記していこう。

中学生のころ、新聞配達をやっていた。
家のためとかそういうのじゃなく単純にお金が欲しかっただけ。
始めたのは中学一年生の夏からかな。
貴重な青春時代にもったいないよなぁ。

いまでも覚えてるわ。大手筋の筋はいったところの毎日新聞の朝刊でした。
70部ほど配ってたんやけど、回されたところが桃山の高級住宅地が並ぶ山手だったのです。
自転車であの山を登るのはめちゃめちゃ大変でおかげで太ももが競輪選手のようになりました。

初めてのお給料はいまでも覚えてるわ。
「フジイ君には幾らあげよかなぁ」で7千円でした。
中学一年生で7千円は大金だよなぁ。

それから京都新聞に変わったり夕刊配ったりで、いつも誰か友達についてきてもらって
一緒に配ってたw
古~い団地とかね。上まで登るのがめちゃめちゃ怖いんです。
「お前いってきてくれやぁ~」みたいなw
新聞配達でなにが辛いといって雨の日の配達は辛いねぇ。合羽着てくばるんやけど
どうしても濡れるんよな。あれは辛かった。

あぁ、途中に伏見青少年活動センターの休憩所でインスタントラーメンを200円で作ってくれて
あれが至福だったねぇ。寒い日には井村屋の豚まんが至福やった。
まだコンニニもなかったもんな。

と、こんな感じで中学時代は新聞配達やっていたのでクラブ活動一切なしの帰宅部でした。
あぁ、アルバイトは中学では禁止だったんだけど、まぁ、家の事情で許してもらえてました。
バイトのお金は何につかっていたのかなぁ??家にはいれてなかったはずだけど、修学旅行は自分で払いました。

こんな感じの中学時代でした。って誰が興味あるねんww

  
タグ :新聞配達


Posted by フジイミツグ at 04:17Comments(0)俺の○○

2013年08月17日

俺と勉強

薄れゆく過去を忘れないために書き記していこう。

勉強ね・・・・ほんと、勉強ってした記憶がないんです。ほんと。。。。
勉強の仕方がわからなかったんでしょうねぇ。
塾にも通った事あったけれども、ぜんぜんわかんなかったし
頭も素通りしてたんだろうねぇ。
よく考えたら夏休みの宿題を提出した覚えがない。
うん。
通知表には毎回「落ち着きがない」って書かれてました。
中学1、2年の通知表をみたら、ほとんど1、か2ばかりでした。かろうじて体育が3かな。
そして中3になった時に、ふと考えたんです。俺このままやったら中卒で働かなあかんやーーーーん。
って思いましたw
ほんとうに今思えば勉強の仕方がまーーーたくわからなかったんだと思う。
こんなお子さん多いと思うよ~

そんで事の重大性をしった中学三年生。
何故か必死で勉強してね。
いまにも通じてると思うんやけど、興味をもったらとことこんやるのなw。
昼休みも勉強して、クラスの嫌われ者になるくらいwwww
ボク、この頃からムードメーカーやったんかな?
先生から「フジイ君が勉強するからクラスの雰囲気が変わってる」って言われた。

一年間がんばりましたよぉ。
しかし、悲しいかな基礎学習ができてないから全国模試の北大路テストはさんざんでした。
三年生の勉強はどの強化も完璧やったんやけどなぁ。

あと、ちと家庭の事情もあって、家では勉強できない状態やったんやね。
だから、朝の4時に起きて蛍光灯にほっかむり被せて光が漏れないようにしたり
親戚の家に泊まり込みで勉強させてもらってた。
おかげで、学年末にはオール1、2からオール4までひきあげましたよ。
ここが限界やったけど、やったらできるんやんかぁ
と思ったできごとでした。
希望の高校にもはいれました。





  

Posted by フジイミツグ at 03:33Comments(0)俺の○○